役割演技から「ふるまい」の裏側を考える
本校では「一人一授業」を研究授業として指導案を配布し、互いの授業から学ぶ取組をしています。その中で、昨日は社会の「模擬裁判」(「三匹の子ブタ」を題材に、オオカミを退治した子ブタの有罪・無罪を考える)で、3年生のこどもたちがで名演技をみせていました。証言や行動の裏側に潜む真意を探りつつ、それも証拠とはならないもどかしさの中で判決を考えていきます。(ねらいとしては、裁判員裁判の難しさを体験することだったと思うのですが…なぜかそれぞれの「名演技」に、気持ちが持っていかれます)また、役割演技をした生徒は、セリフには表れない「何か」をつかみながら考えていきます。 今日の道徳では、列車の中でこぼれる缶コーヒーにまつわる場面を3年生が、これまた列車の中で席取りをして注意を受ける場面を2年生が、それぞれ取り上げた授業の中で、それぞれの登場人物の「ふるまい」の真意や人として必要なことを考えていきます。ここでも役割演技を通して、その裏側の心の動きを追体験していくのです。 「わかっているけど行動できないことを知る」(人間理解)「対話の仲間や登場人物の思いを知る」(他者理解)「生きていく上で大切なことを知る」(価値理解)など、道徳では「ともによりよく生きる」ために必要なことを学んでいます。 1年生の道徳では、新幹線の清掃業務を仕事とした教材で、「新しいプライド」を考えていました。途中、「この「プライド」って何?」と話しかけると、すぐにパソコンに打ち込んで「プライド」という文字の意味を調べてくれました。授業の中での意味合いを聞いたつもりだったのですが、今はこうやって子どもたちはすぐにPCで調べ解決していくのですね。たいしたものです。